Pハゲのカラーボックス

アニメ・マンガ・ゲーム・音楽についていろいろ書いていきます。極力毎日更新します。

【特別お題】『選択』と『年齢』

こんばんは。

 

ついに3連休が終わってしまいました。

次の連休は8月のお盆休みですね。

お盆休みには、東京へ4日ほど旅行に行きます。とはいってもコミックマーケット92に参加するのですが。

冬は仕事の関係で3日間参加はできませんでしたが、夏は今も変わらず3日間とも参加しています。

以前も記事にチラッと書きましたが、今年は前日入りするため8/10から東京に行きます。

なので、8/10~12は東京からの更新になります。たぶんコミケ日記になると思います。

 

さて、本日ははてなブログの特別お題の「『選択』と『年齢』」について書いていきます。

タイトルからわかると思いますが、昔話をします。

 

人生の選択1 「教師」と「8歳」

人生の選択というには若すぎると思います。

この8歳、というか小学2年生の時に私が思い描いた将来の夢です。私が覚えている限りではこのときが一番古い記憶です。

 

この時以降、私は教師になることを目標に生きていました。大学3年になるまでは。

小学校の時は、「教師になる」という夢だけでしたが、中学校を卒業する段階では「理科」の先生になることを目標にしていました。

 

高校では「理科の先生になる」という目標のために、迷わず「理系」を選択しました。これは今でも後悔はありません。

 

ただ、すでにこの時点で理科系の成績はボロボロでした。特に化学は「有機」になったとたんにダメダメになりました。

 

そして、一番の失敗は大学受験です。

 

教育大学を受験するためにセンター試験を受けましたが、これが惨敗。諦めて滑り止めの大学へ行きました。そこでも教員免許は取得できることはわかっていたので。

しかし、ここでもさらに失敗をしていました。

 

私が入学したのは、理工学部の電気系の学科でした。この学科で取得できる免許の種類は「数学」と「工業」だけでした。私の「理科の先生」の夢はここで途絶えます。

 

人生の選択2  「理科から数学へ」と「18歳」

 

しかし、「教師になる」という夢は捨てきれなかったので、「数学の先生」になる道を選びました。

 

これ以降私は、数学の教師になることを目標にしました。

 

幸い、大学のレベルが私にあっていたようで、基本的にどの科目もB以上で合格できました。

 

数学教員を目指す人たちの中でも上位の成績を収めていました。

通常の学科の方もトップクラスに入れていました。

私の教師への夢は現実に近づいていました。

 

 

人生の選択3 「教師からエンジニアへ」と「22歳」

教師へなるための階段を順調に登っていた私でしたが、大学4年の時に「教師」を目指すことをやめました。

 

私は「エンジニア」になりたいと思いました。

 

そもそも大学3年の製作実習で、「ものつくり」の楽しさと「プログラミング」の楽しさに気づいたそのときから私は、「教師」よりも「エンジニア」にあこがれていました。

 

この時点ですでに憧れの人物はプログラマでしたし、興味のある分野は「教育」から「技術」へ移っていました。

 

しかし、小学2年のときから思い続け、大学まで来た過去の私への「ケジメ」をつけるために「教員免許」は取得することにしました。

 

なので、私は教職課程を続けつつも「エンジニア」としての就活を進めていました。

そして、今の会社に内定をもらい、そのまま就職しています。

 

私の教育実習は10月だったので、すでに内定をいただいた状態での教育実習でした。

 

ここで、私は自分が教師に向いていないことを悟ります。

この話については別の時にします。

 

そんな感じで私は「教師」から「エンジニア」へ目指す方向を変えました。

 

まとめ

私の24年の人生の中で、それなりに大きい選択を3つほど書きました。

当時の私はかなり悩んだりしましたが、なんだかんだ、目指した方向へ進んできました。

それらが、今の私を形成しているのは言うまでもありません。

今でも「教育」関係には興味はありますし、「教育」に関するソリューションを考えることも少なくありません。

私の教育観を話すことは、この記事ではしませんが、ネタに困ったときにでも書きます。

人生の選択3の最後のほうに書いた「教育実習」の話は、今週のどこかで書きます。

では、明日から仕事です。

みなさん頑張りましょう。 

 

それでは。