Pハゲのカラーボックス

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最初で最後のバンドライブ

こんばんは。

 

一昨日、昨日に続いて今日も帰り道、自転車に乗っていると腰が痛くなってしまいました。

日曜日にサドルを調整してからなので、サドルが原因と思ったので、家に帰ってから再度調整をしました。明日の状態でまた調整するかもしれません。

 

さて、今日は昨日の記事「【お題スロット】演奏できる楽器」で出てきた私の人生で最初で最後のライブの話を書いていきます。昔話をたらたらと書いていきます。どうぞお付き合いください。

 

ことのはじまり

すべての始まりは、友人からの誘いです。

文化祭でバンドを組んでライブに出たい、という思いを持ってバンドを組んでいたらしいのです。しかし、そのバンドの初期メンバーのドラムが遅刻が多いため強制的に除外されて、ドラムに空きができたようです。

そこで、当時友人の中では抜きんでて「太鼓の達人」が上手かった (友人間で一番なのであって、腕前はそんなに上手くないです) 私が選ばれました。

私も面白そうということでYESと答えて、目の前で文化祭のエントリー用紙に私の名前が書かれるのを確認しました。

誘われたのは、部活を引退していたので7月中旬くらいだったと思います。

文化祭は10月の頭。

約2ヶ月でドラムをたたけるようにならないといけなくなったわけです。

 

2ヶ月の練習

文化祭での曲は1曲だけだったので覚えるのは何とかなりました。曲はL'Arc~en~CielのREADY STEADY GOです。

個人での練習は、音を聞いての確認や譜面を見ての確認が主です。叩くべき対象の確認と曲をひたすら聞いていた感じだったと思います。

初心者なので、完全にコピーは無理だったので、バスドラムのペダルを素早く2連続で踏むとかは1回に減らして対処していました。

バンド練習は多くて週1回、基本は2週間に1回でした。

どんどんみんなと演奏がうまくいって、技術的にも向上しているのを感じられたのがすごく気持ちよかったのを覚えています。

 

リハーサルと本番

このライブの話をしているといつも思い出すのは、本番の前日に行ったリハーサルです。このリハーサルが非常にひどい出来でした。演奏の途中でスティックが飛んだり、ベースがピックを飛ばしたりと各々が緊張でやらかしまくっていました。

それはもう酷い状態でした。

さらに、これは私だけですが、このリハーサル中に使っていたクラッシュシンバルの1つは叩いてはいけないものだったらしいのです。なんでも、事前に申し出て認められないと使えないものらしいです。だったらリハの時に使わせんじゃねえよ、と思いました。まあ先生にも確認しましたが無理と言われたため、クラッシュ2枚で練習してきたのを、ぶっつけ本番で1枚版をやることになりました。

そして本番ですが、こちらはうまくいきました。

前日のリハーサルが酷すぎたせいで、全員緊張しすぎることなく程よい緊張感で演奏できました。

ぶっつけ本番のシンバルの問題も何とか乗り切りました。

ジャズバンド部のクラスメイトにも、「よく走らなかった (テンポをあげてしまうこと)」とほめてもらえました。

本当にいい思い出です。

 

まとめ

ババっと書きましたが、これが私の最初で最後のバンドでのライブでした。

これから先、やる機会はあるかもしれませんが、とりあえず今のところは、この1回だけです。

ドラムはやっていてよかったと思っています。演奏しているわけではないですが、音楽を聴いているときにも、各楽器の音を聴きとれるようになっていたりしています。

昨日の記事にも書きましたが、エアドラムみたいなことは今もやったりしています。ただ、本当のドラムはもう何年も叩いていません。

たまに叩きたいと思うことはありますが、あまり強い欲求ではないです。

バンドでドラムの練習をしてきて学んだことは、

  • 継続は力なり
  • 音楽を演奏するという楽しみを知ったこと
  • チームで何かを作るという楽しみを体験できたこと

です。

長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

あまり今の私の周りにネタがない気がするので、また昔話をするかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします。

 

それでは。